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 イベントが起こりました。内容は、『婆の家に出向き荷物の移動といった力仕事を手伝う。婆が言うには厳しい仕事ではない。報酬は1万円』というもの。拘束時間は、移動を含めても5時間程度と思われる。割の良い仕事である。もちろん承諾した。ただし、報酬については相談としておいた。

 さて、このような条件を見知った人に示されたとき、1万円を受け取るだろうか。私は受け取りたくない。
 この場合の『見知った人』を書いておこう。この婆、訪問するたびにお金をくれたり食事を薦めたり、典型的婆キャラクタである。仕事をきっかけに、お金を渡したいという気持ち(縁を繋ぐ為だろうか)があると思われる。

 受け取りたくない理由を述べよう。単純に、仕事内容と報酬が合わないと思えるからだ。守銭奴の気はあるし、お金も欲しいとは思うが、割に合いすぎる仕事で楽をしたいと思わない。この理由は、遠慮という気持ちも含まれているが、納得がいかないという気持ちが大きい。たいていの人は、特に理由もないのに給料を減らされたら納得いかないだろう。同じことである。

 仕事の報酬に合わないから断るという理由であり、他の理由なら断りにくい。純粋な「お金を渡したい」という気持ちである。ただ、この場合、仕事の報酬と提示している時点で純粋ではほぼありえない。お金を渡したいが報酬としておいた方が良さそう、と考えているならば、見込み違いだし、自分の気持ちに素直になっていないという点で評価は下がる。
 報酬を具体的に提示するより、「お礼はするから手伝って」としておけば、すんなり1万円を受け取っただろう。

 仕事を引き受けることと、報酬がもらえることを前提に話した。前者は、たとえ無料だとしても手伝っただろうから語らない。後者は、経験的に「私はもう老い先短いからお前を道連れにしてやる」という可能性を考えたりしているが、これも語る必要がないだろう。

06/23|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 この記事では、簡単や楽というのを主に疲労的な意味で扱っている。

 私の場合、思考を走らせることはすごく簡単なことである。思考の対象物がある場合はもちろん、何もしていない状態だとしても何らかの閃きが発生し、それを追っていく。例えば、これを書いている少し前は、『警察に職質された時に止まる必要はない』などということを考えていた。どこからどういう発想をしたのかは、完全には判らないが、思考を止める(我に返る)かある程度の結論が出るまでは楽な作業である。どれぐらい楽かというと、『喉が渇いたから水を飲む』作業よりは楽だ。
 難しいことは、思考のトレースである。『警察に職質された時に止まる必要はない』の思考内容など、一割も思い出せないし、トレースできない(する気が起きない)。また、思考速度にも差がある。ここまで記事を書くのにかけた時間は(正確には発想するのにかけた時間)、5分ほどである。これを、トレースではなく走らせた場合の発想速度になおすと、30秒もかからないと予測できる。もちろん、キーボードで文字を打ちながらという手間もあるが、それを抜きにしても三倍は思考速度に差がありそうだ。
 速いということは、労働時間という観点から見ると、それだけ疲れないということだ。30秒で終わる仕事と5分で終わる仕事を想像していただきたい。
 他にも思考を走らせるのが楽だという要素があると思う。それは、たぶん、自動でやっていることだ。精々、意識している部分は、ふと立ち止まって思考の見直しをするときや、ある程度の指向性を持たせようとするときぐらいである。一方、トレースは意識しないと、能動的でないとできない。これは理由が定かではない。未熟(不慣れ)だからかもしれないし、思い出すという行為の性質かもしれない。
 思考を走らせることがすごいとは書いていない。突っ走っているだけで、反省という要素は少ないし、目的は特に無いという始末だ。それでもある程度は得られるものがある。疾走感も心地よい。

 思考にはいろんな作用があるし、目的がある。その人が自然と何を求めているかで、思考の難易度は変わりそうだ。

06/14|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 つくづく思うこと。集中は私の最大の敵である。例えば、ゲームを少しだけプレイしようと思っていたのに、夜更かししてしまう。これは、自制が出来ていないと一蹴されるだろうか。では、仕事を集中してやる、だとどうだろう。これも、自制が出来ていないと一蹴されるのか。1つ目の例は、理性が望んでいないもの。2つ目の例は、理性が望んでいるものだ、と否定する人がいるかもしれないが、価値観はそれぞれである。どちらも同じだ、という視点もあるのだ。
 集中は良い響きがある。上記の表現だと誤解を招きやすそうだ。私が思っている集中は意味が違うかな、と思い辞書を引いてみると、どうも夢中が当てはまるように思える。つまり、「夢中になるな」と私は言いたい。集中と夢中の違いは後ほど。

 何かを成そうと集中するのは結構なことだ。夢中にやったとしても、結果は出る。手法としての集中や夢中は認める。ただ、1つのモノを見つめて作業をすると、視野が狭くなるのだ。
 私の場合は特に顕著だ。目標の為にどうすれば良いか、ということだけを考えてしまうから、予測や観察などがほとんど働かない。視野を広げた方が良い理由については、私がそう信じているとしておこう。

 集中していても、色んなことを考えられる人はいるだろう。複数の作業を同時に集中できる人もいるだろう。そう成りたいと考え、1つの集中を持続するよりも、短時間でも良いからいろんな作業に集中することにした。例えば、1つのゲームを一時間やるより、2のゲームを20分ずつ、休憩を挟みながらやるのだ。


「夢中になるな」と書いておいて、結局集中と表現している理由を書こう。これは、集中と夢中の違いの説明も含む。
 集中は『する』ものだ。そして、夢中は『なる』ものだ。「集中になる」、「夢中する」、こう表現すると違和感を覚える。つまり、集中は能動的で、夢中は受動的ということだと思う。あえて夢中を『する』場合、他者の状態を変化させたと読める(夢中にする)。集中も同様。
 集中と表現している理由はこれだ。「夢中になる」状態でも能動的な場合は、集中だと思う。では、なぜ「夢中」と感じてしまうのか。これは、客観的な自分が評価しているからだ。なぜなら、夢中になっている最中は、主観が働いていないのだから、客観的な自分が評価をするしかない。

06/14|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 実にふざけた絵を描きました。といっても、私の実力はあの程度ですし、絵の程はふざけてません。本当にふざけていたのは、書いているときのテンションと文章です。

 私は情景描写が苦手です。理由として考えられるのは、想像でさえ絵が描けないからです。これをなんとかしようと頭を使っているのですが、今一集中して頑張れません。そこで考えた訓練方法が、絵を描くことでした。
 今までのドット絵や小説は、『とりあえず打ってみて何となく創ろう』という手法でした。ここをこうしたらこうなるかな、という勘はある程度あれど、それなりに無作為です。いつぞやのgif動画も、考えずに何となくで創った代物です。これを変えて、脳に描いてからそれを模写するという手法にすることで、改善を図りました。
 結果は散々で、正に「どうしてこうなった!」です。理由は幾つか思いつくので、次はそれも改善しなければいけません。

 そもそも、私は考えるのが苦手です。ここで言う『考える』とは、予測という意味です。これをこうしたらこうなる、という思考が大の苦手です。苦手だから、当たって砕けろの精神でとりあえずやってみて、駄目なら違う道で進む。そういう生き方をしてきました。例えるなら、方程式の公式を覚えるのが面倒くさいから手当たり次第代入計算してxを求める、という感じでしょうか。
 前に書いた思考の手順で言うなら、『展開』が苦手なのかな。

 本当に脳は使いようだと思います。ここが短所、ここが長所、そういうところが実感されるのも面白いのですが、歯がゆいです。右手は動かしやすいのに左手はうまく動かないというのと同じぐらい歯がゆいです。


06/04|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 気が向いたので(当たり前)、母親と一緒に食事を作りました。当然のように、母親の口からはこの一言が出てくるわけです。「ありがとう」、と。私には、礼を言う気持ちがよく理解できません。だって、やりたいことをやっているだけなのですから。といっても、私が礼を言わない人間なのではありません。礼を言われたくない人間なだけです。

 どういう時に礼を言うでしょう。2つ考えつきました。1つは、つい口に出るもの。2つは、演技。
 前者は、反射的なものです。自分が尻餅をついたとしましょう。そして、手を差し伸べられたりすると、つい「ありがとう」と言ってしまいそうです。
 後者は、心の中で、『ここはお礼の言葉を言っておいた方が良いな』と考えた出力結果です。ペンを落としたとします。拾おうとしたら、先に拾われることがあります。こういう時に、「ありがとう」と言います。

 感謝とは何か。『想定外に事態が好転すると起こる行動』だろうか。

05/22|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 考えてみれば当たり前。でも、気づかないもの。黄昏の賢者だって言っているように、無知の知が一番の敵です。

 レベル1の者は、レベル1の者と闘うのが相応しい。レベル10の者は、レベル10とも闘えるが、レベル1とも闘える。
 目標となるモノを見つめる。こうなりたいと願い、そうしてみる。失敗する。できないのはなぜか。低レベルの者は、低レベルな事しか成せないからだ。

 アンダを設定することはできる。見えるからだ。オーバは設定できないと思う。見えないからだ。
 想像することはできる? ならば、そうすれば良い。想像をなぞる。簡単なことじゃないか。
 きちんと想像できるということは、力が足りている証拠だと思う。小説も、絵も、同じことだ。

05/14|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 ネトゲ廃人です。起きている時間の八割ぐらいが、ログイン時間であると思われます。そのような状態ですが、危険という自覚は余りありません。精々二割ぐらいです。なぜ、未だにニートなのに、危機意識がないのか。説明の必要はないと思います。一応、判らない人用に、「俺だから」と書いておきましょう。
 むしろ、二割も意識しているのか、という疑問があるかもしれません。これは、どうしても排除できない部分、つまり、客観的意識です。起きている事だけを観察するならば、危ないと思うでしょう。例えば、知らない人が崖から落ちそうになっているような状態です。おっと、これも説明は蛇足でしたね。

 ゲームは面白い。最近やっている三国ヒーローズを例に挙げるなら、アイテムの蒐集、仲間の育成、シナリオの進行、などがある。どこから湧いてくる気持ちかは判らないが、面白いと感じる。これは特に問題ない。
 効率の良いステージがある。これは、一日につき四回といった具合に、回数が決められている。このステージを終わらせると、効率の悪いステージでレベルを上げることになる。それは嫌(無駄)だから、効率の良いステージだけをプレイしている。しかし、面倒くさく感じている時でも、この効率の良いステージだけはプレイしてしまう自分がいる。

 楽しむ為にレベルを上げようとしている。アイテムや仲間の蒐集、シナリオの進行を早めたい為に、効率の良いステージをプレイする。だが、早く先を見たいという欲求が、プレイを急かし、強要し、ストレスとなる。楽しむ為にプレイしているのではあるが、ストレスは溜まってしまう。ゲームを楽しむという点では、効率の悪い作業と言えるだろう。

『やりたいこと』は、『やる』ものであって、『やらされる』ものではない、ということだろうか。例え、対象が自分であったとしてもだ。
 こういう思考も、自然と浮かんでくるものだ。流れに身を任せるのが一番楽だということだろう。これは、様々なものに当てはまる。

 さて、苦と楽、どちらを取りますか?
 その選択は、本当に、良いものですか?

05/12|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 毎日、眠れない夜を送ろうとしている正面戦士です。考え事をしていると眠れないという意味で、不眠症なわけではなく、考え事はある程度自発的なことから能動的に書いてみました(不眠症は能動か?)。

 夜には限りません。私が寝る前、布団に横たわった時が、一番活発に働いているというだけです。いきなり何の話だろうか。実は、思考をある程度進めていくと、突然身体がビクッと震え、一瞬何もかもが操作不能になるようです。ところで、ブログで「実は」を使うと、打ちのめされた気分になりませんか。
 例えるなら、脚気審査(膝を叩いて脚が上がるか試すもののはず)の反応を、背中を中心に波紋し、身体が折れ曲がる。または、何かに驚くと反り返りますが、それを折れ曲がりにしたもの。どちらにも言えることは、反射行動だろう、ということです。

 これは、だいたい考え事をしているときに起こります。特に何もせず反応だけの生活を送っていると、起こることはなさそうです。何もしていないというのは、考え事をしていないという意味で、つまり、覚えていないというだけの可能性もあります。ただ、唐突に身体が痙攣するといった症状を、持っている人間ではないことを訴えたかったのです。

 なぜ、こうなるのか。とりあえずの答えはあります。『防衛機能であり、これ以上考えてはいけないという反射行動』。直感的に思いついた答えですが、これに行き着いた道筋は想像できます。何故かというと、身体が震えるときは、たいてい危ないことを考えているからです。危ないこととは、一般的には、道徳や常識、法律といった物差しで危ないと判断するような事柄。
 これは、つまり、『自分に害を及ぼすであろうから、これ以上探らせない』という行動であると思われます。いわゆる、破滅思考系が引き金になるように思えます。

 よく話す人に聞いてみても、「判らない」、と言われた。私だけではないと考えられるが、ここを読んでいる人に当てはまるかは、期待できない。つまり、記事としてはかなり下のレベルであると評価できよう。

05/10|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 相変わらず三国ヒーローズをやっています。
 なぜ、こんな出だしなのか。それは最近、ゲームをやりすぎて、1日に1つ2つしかブログの記事になりそうなことを考えていないからだ。ネタがあるなら毎日書けよ、と言われるかもしれないが、今のところ趣味のブログなのだから仕方ない。こう書くと、不思議と納得してもらえるだろうか。

 タイトルで疑問を投げかけていますが、存在すると思います。終了。

05/09|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 三国ヒーローズにて、こういう流れがありました。
 競売というシステムがある→競売を使うため(意図は不明)誰かが定時開催しないかと発言→ちょっとしたゴタゴタ
 このゴタゴタの中身は2つ。
・仕切られるのが嫌。
・この定時開催すると言った人が、競売に関しての注意喚起(詐欺に注意といったもの)を行い、それに対しての不満。

 これらを見た人の反応。
前者
 仕切られるのが嫌なら、お前がやれよ。
後者
 詐欺紛いしてた奴が、うまくいかなくなるかもしれないから言うなってことか。
両者
 ただの自己中なだけだな。

 さて、何がいけないのか?

05/06|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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