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 漢和辞典から、『須は細いひげ、臾は細く抜き出すこと』、『ほんの短い間、ごくわずかの時間がたって、の意』とある。ちなみに、単位としての須臾はすごい小さいけれども、刹那になおすと1000刹那ぐらい。
 東方求聞史紀から蓬莱山輝夜の須臾、『人間が感知できない程の一瞬が須臾であり、その一瞬の集合体だけを使って行動できる。普通に時間は進むが、人間には全く感知できない』、また、『その時間を利用すると異なった歴史を複数持つ事が出来るという』とある。どういうことだろうか。

 前者の解釈をしてみる。人間が感知できない時間というものが存在し、その時間だけを使って行動できる。人間が感知できないだけであって、普通に時間は進む。ようは、人間は須臾の時間で行動する者を認識できないということだろう(言い直しただけ)。触れていたとしても判らないし、いきなり殴られても何に殴られたか判らない。
 咲夜と違うところは、『大衆の時間が流れるかどうか』であろう。咲夜も認識できない時間で行動はできるが、他の者の時間は動いていない。

 さて、後者である。須臾の集合体を利用すると、異なった歴史を複数持てる。ワケガワカラナイ。


 ワケガワカラナイが、考えてみよう。まず、注意しないといけないところは、『利用』と『歴史』である。どういう利用なのか、どういう意味での歴史なのか。
『歴史を持つ』という表現から、『輝夜の歴史』であると思うが、真実は判らない。

 1つの解釈をしてみよう。須臾の時間を突然永遠に変えてみる。この瞬間、今の時間は1つの歴史となる。そして、永遠を解いた瞬間からは別の歴史が始まる。輝夜の1つの歴史が永遠となる。これは須臾の時間でやるのが好ましい。良いと思う一瞬を永遠にしようとしても、次の瞬間には良いが過ぎ去っているかもしれないが、須臾なら慎重に選別ができる。


 説明が70%ぐらい足りない解釈。東方永夜抄の考察が寂しかったから書いただけなんで、理解したい人だけしてください。
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07/09|考察:永夜抄コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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