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 この記事では、簡単や楽というのを主に疲労的な意味で扱っている。

 私の場合、思考を走らせることはすごく簡単なことである。思考の対象物がある場合はもちろん、何もしていない状態だとしても何らかの閃きが発生し、それを追っていく。例えば、これを書いている少し前は、『警察に職質された時に止まる必要はない』などということを考えていた。どこからどういう発想をしたのかは、完全には判らないが、思考を止める(我に返る)かある程度の結論が出るまでは楽な作業である。どれぐらい楽かというと、『喉が渇いたから水を飲む』作業よりは楽だ。
 難しいことは、思考のトレースである。『警察に職質された時に止まる必要はない』の思考内容など、一割も思い出せないし、トレースできない(する気が起きない)。また、思考速度にも差がある。ここまで記事を書くのにかけた時間は(正確には発想するのにかけた時間)、5分ほどである。これを、トレースではなく走らせた場合の発想速度になおすと、30秒もかからないと予測できる。もちろん、キーボードで文字を打ちながらという手間もあるが、それを抜きにしても三倍は思考速度に差がありそうだ。
 速いということは、労働時間という観点から見ると、それだけ疲れないということだ。30秒で終わる仕事と5分で終わる仕事を想像していただきたい。
 他にも思考を走らせるのが楽だという要素があると思う。それは、たぶん、自動でやっていることだ。精々、意識している部分は、ふと立ち止まって思考の見直しをするときや、ある程度の指向性を持たせようとするときぐらいである。一方、トレースは意識しないと、能動的でないとできない。これは理由が定かではない。未熟(不慣れ)だからかもしれないし、思い出すという行為の性質かもしれない。
 思考を走らせることがすごいとは書いていない。突っ走っているだけで、反省という要素は少ないし、目的は特に無いという始末だ。それでもある程度は得られるものがある。疾走感も心地よい。

 思考にはいろんな作用があるし、目的がある。その人が自然と何を求めているかで、思考の難易度は変わりそうだ。


 最初は日記にしようと思ったんですけどね。
 最後にエッセーっぽい一文が浮かびまして、ええ。
 エッセーカテゴリーにしちゃいました。
 自分のことをエッセーにするのは、まだ少し抵抗がある。
 なぜかって?
 エッセーは誰かの思考の種になれば良いなと思って書いている文章だから。
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06/14|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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