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 いわゆる、物語、世界観、roman、小説、などの概念をひっくるめたものを、『お話』と書くことにします。細かい説明は言葉で表現しきれないのでしません。
 今回は、お話とはどう成り立っているのかを考えます。どう創っていくのか、と捉えていただいても構いません。

 内容に関して、疑問や意見がありましたらご連絡ください。私自身が未消化なので歓迎します。
 私たちの生きているこの世界も、お話と表現できる。同じように、様々なストーリィ、例えば東方やジョジョもお話だ。これらには何が存在するだろうか。
 大きく分けて、3つの要素があると考える。1つは世界、2つはキャラクタ、3つはあらすじ。1から順番に説明していこう。

 判りにくいので、世界についても少し分けておこう。世界とは、自然と歴史と舞台について考えることである。とりあえず私たちの世界を例にしてみよう。自然とは、窒素と酸素が8:2で構成されている空気があることや、科学がかなり信仰されているといったことである。歴史とは、WW2を経て今の日本が在るといったような、言い換えると現状である。舞台とは、自分の生きている土地をイメージしてもらいたい。
 ありがちなファンタジィ世界で考えてみると、魔法を使うためのエーテルがあるだとか、マラカテとニルイドが戦争しているだとか、第3勢力としてこの戦争を止めるためのゲリラ視点、というような感じになる。出てくる表現や単語は全て適当だが、何となく意味は通じると思う。
 重要なことは、主観を持つ主人公が存在しなくとも動けること。創造主のような主人公であっても、お話という視点からは登場人物に過ぎない。唯一の例外は、自然の項目に主人公が含まれるときだけであろう。
 理解しやすいように書くと、語らなくても世界は在るということである。自分が死んでもこの世界は回り続けるだろう、ということだ。言語化することで世界が創られる、という表現があるが、あまり信じていない。イデア論的な考えの方が好きだ。

 キャラクタとは最重要な要素である。世界がないとキャラクタが誕生しないのは当たり前だが、お話として成立させるには最重要である。別に世界だけを語る小説があっても良いとは思うのだが、その場合は世界がキャラクタと成るであろう。東方で言うなら、毛玉を主人公にしたりすると世界を語ることになるかもしれない。
 キャラクタに必要なものは個人・人格(人間という前提だ)である。細かく言うと、生まれてからどのような事件を経て今に至ったのかということだが、簡単に言うと、今現在どういう性格かということだ。

 あらすじはこれからのことである。世界やキャラクタがどう動くのかがあらすじになる。また例をあげると、これからWW3が起きるとか、マラカテが世界征服した、などである。今を生きる私たちには、予想することしかできないことだが、これはお話視点での話である。


 小説を書くには、どうすれば良いだろう、という疑問に対する回答である。注意してほしいのは、世界から順番に考えろというわけではない。3つのどこから考えても良いと思う。やりやすいようにやるのが自然だろう。言うところの、やりやすい、についても幾つかあるのだが、今回はこのへんで。
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03/21|エッセーコメント(2)トラックバック(0)TOP↑
この記事にコメント
vipから
思想的にはリオタールに親和的かなと思ったけど、どうなのだろう(物語的な意味で)・・・

世界については「イデア論的な考えの方が好き」ということだけど、
「万人に共通する真理」的な意味でのイデアに対して、下の「宗教」(相対化された個々人にとっての真理って意味だととらえたんだが)というのは対立しそうなものだけど、どうなのかな・・・

あぁ・・・そういったイデア論的世界観自体が相対化されてるってことなのか・・・?
それともこの「世界」に関しては、小説なんかの創作物に限定されてるから同列で考えてはダメなのか・・
From:  * 2009/03/29 16:53 * URL * [Edit] *  top↑
ようこそ
リオタールが誰かもぴんとこないし、ぐぐっても著作・関係する書物を読んだ覚えはない。どうなのだ、という疑問には答えられない。

イデアの話は、自分が考えている概念をそう表現しているだけで、一般的な意味ではないと思います(似てはいると思うけど)。
明らかに説明が足りないようなので、補足を。
言語として認識する前から、世界は世界として存在している、という考えを持っています。この、言語化される前から存在する“何か”を“イデア”と私は認識しています。

万人真理と個人心理の対立について。ただ、相対化という言葉の意味はよく判らない。
2つの理由が考えられる。
1つは、とても簡単なこと。宗教好きの人格と、イデア好きの人格が居て、それぞれが書いていたというだけのこと(書いてから考え方が変わったという記憶は無い)。ただしこれは、対立すると考えた場合の納得方法。
もう1つは、「法律は守るものだ」と考える人たちが存在する中、「法律を破っても良いだろう」と考える人が存在するのと同じことだと考えます。共通する真理も、主観による真理に上書きされるもの。

三段落目のコメントについては、おおよそ考えているとおりだと想像します。

なお、これを書いている最中でもころころと思いは変化しています。
これらの文章は、書いたその瞬間においての意見だ、ということを認識していただけると、少し楽になるかもしれません。
From: 正面戦士 * 2009/03/30 16:08 * URL * [Edit] *  top↑
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