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 頭回らないとか言ってましたが、そもそも頭が回らないならああいう文章も書けないわけです。回復の兆しが見えたので報告というだけの日記でした。日記なんて中身のないモノは投稿したくないところだけど、記事の間隔を空けることはあまりしたくないのです。


 悪口は、文字どおり悪いものだ。陰口は、本人を前にして言わないところを評価され、臆病や、姑息などの付加効果が付きがちだが、どちらも同じものである。なぜなら、悪口を言おうと思ったその瞬間、動機、それらは両者とも大きな差はない。強いて差別をするなら、何らかの企みにより陰口を言う場合は悪口より悪いこともあり得る。それは逆にも言えることであり、やはり差は取るに足らない程度である。
 自明なことを述べさせてもらった。だが少し待ってほしい。これで納得して良いものだろうか? 確かに悪口は定義により悪いことである。ここでまた話が逸れるが、反骨の心がある方ならこう言うかもしれない、「人を悪く言うことが良いことの可能性もあるだろう」と。それももちろん、あり得る、と言いたいところだが、そういう話をしているのではない。
 人を悪く言うというところの、『悪い』とはどういうことなのか? 待ってほしいのはこの部分で、ここをよく考えてもらいたい。

 人は簡単に、「悪口を言われた」と言う。例をあげると、「役立たず!」、「不細工!」などの場合に使われることが観察される。これは私だけの例ではなく、協力者の声をあげてみよう。「デブ。うすのろ」、「死ね」、「ニート」、「お馬鹿」。
 おそらくこれを読んでいる人も同じような印象を受けることと思う。違うのなら、今すぐ何らかの形でコメントをよこしやがってください。

 さて、上記の言葉は悪口になり得る。「なる」のではなく、「なり得る」のだ。太っていない人にデブと言って悪口になるだろうか、ニートじゃない人にニートと言って悪口になるだろうか。たいていは冗談として笑われるだけだろう。
 しかしここで矛盾が生じる。悪口を言っているのに、悪く言っていないのだ。ここで最初の問いに戻る。すなわち、『悪い』とはどういうことなのか?

 悪口になり得る場合を考えてみよう。頭が悪いことを気にしている方に(実際は悪くなくとも)、「馬鹿」と言ったら、それは悪口だ。劣っていると感じること、『悪い』ところを言われることが、つまり悪口となる。
 これも当たり前のことである。相手によって悪口は選ぶだろう。実際協力者の方々も、「状況による」と真っ先にコメントされた。

『悪い』と感じてしまうのは、つまりそれを価値と信じているからである。大半の人が判りやすい例だと、貧乏な人が貧乏を『悪い』と感じるのは、資産を価値と認めているからだ。

 そんなものが価値で良いのか。そういう問いをする場合、コンプレックスを攻めてみてはいかがか。何が価値であるかは今回のお題ではないので、ここらへんで。


 世の中には悪口を言いまくる、止められない人が存在する。これは、悪いと判っていても、自分にはそれが価値でないのだから理解に及ばないということだ。そういう人を悪く言うのは止めよう。悪口と信じてはいないのだから。
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