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 私的なことなので、カテゴリは日記でもいいような感じですが、日常で思ったことについて考えるカテゴリなので気にしないことにします。気にしないことにしないと、こういう内容書けません。

 自分が叱られたとする。叱られる可能性がある場所は、仕事や学校、家庭内と様々だが、自分が他人に叱られるということだけが大事。なお、『怒られる』では微妙に意味が違う。
 叱られるということは、たとえ内容が理不尽であっても、理解できなくとも、何かしら自分に失態があったことになる。相手の機嫌が悪く、視界に入った奴を叱りたかったという場合でも、かけらほどの責任は生じる。
 とうぜん、自分が圧倒的に悪いこともある。警察官の拳銃を盗んだとしたら、自分の方が非は大きいと思う。もう1つ、微妙な場合。視界の悪い曲がり角で、両者とも急いでいて激突などしたら、責任は半々になるだろう。

 叱られたとき、反応としては“反省”が正しいと思う。反省だけ、ということではなく、まず最初に反省し、それを踏まえたうえで話を進めるということ。
 しかし理解はできていても、私は、最初に“猜疑”してしまいます。本当に奴の言い分は正しいのか、相手に非はないのか、といった疑いを持ちます。なぜこういう考えになるのか、保身か、言い逃れか、というのはどうでも良い。問題は、『この時点では、私の非について何も考えていない』ということ。これはつまり、下手に反論しようものなら、自分の非について指摘され、結局、下手な反論は的外れな意見であったと気づくことになります。

 ただ、まず“猜疑”から、という考えはデメリットばかりではありません。様々なことに疑いを持つのは良いことです。“反省”も同様。ようは、使いどころを見誤ってはいけないというだけの話。
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