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 容赦なく語られてると思われるネタです。考察サイトを見なくなって久しいので、あくまで、思われると書いておきます。紫が蜘蛛だとか、そういう話ではないのであしからず。

 少しだけ私(もしくは私たち)の生きている世界の話。通常、生きている人間は、“死”というものが理解できない。現象として、『生命活動の停止』と表現できるが、本質的な“死”については不明です。
 じゃあ生きている人間は、“生”について、“生命”について理解しているといえるのか? そんな疑問を浮かべる人も居るだろうけれど、「生命は運動や増殖のような生活現象からから抽象される一般概念」と定義されています。

 さて、幻想郷の話です。幻想郷にはご存じのとおり、冥界、地獄、霊、などなど、死後の世界が明確かつ生きている者でも観察できます。
 そんなことだからか、「咲夜さんが死んでも霊になって紅魔館でメイド長してそう」、といった話はそれなりに見かける話です。つまり、生きてても死んでても、特に変化が無いように見える。「冥界に生きた人間が行くと生と死の境界が曖昧となる」、というようなことは、誰かさんが言っていた台詞です。
 幻想郷に住む人間の死生観はどうなっているのだろう。生き方については人それぞれだと思うけれど、“死”については統一した見方をしているのだろうか。幻想郷において、概念上“死”の存在は、少し調べれば分かる程度に過ぎない。

 死ぬと人生が終わるだけで、『自分という存在』にはただのターニングポイントに過ぎないのかもしれません。まるで約60年ごとに生まれ変わるように。

 幻想郷において、“生”の対義語は何?
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01/31|東方Projectコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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