QLOOKアクセス解析
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

--/--|スポンサー広告||TOP↑
※真性キ○ガイor池沼とも評価できる内容の記事です。

 いつものスタンスですが、言いたいことが伝わるとは考えていません。また、他人がどう考えようが、どう感じようが、それは良いことだと思います。ただこのブログは、『記事を読んで何かしら考えてもらえること』を目指しています。
 書いている私に批判的な意見を持っても、好意的な意見を持っても、その思いをお大事に(この時点で筆者と読者の距離は月とすっぽんだろう)。

 ……願うならば、この記事、ある種の黒歴史に成らないかなぁ。

スポンサーサイト
03/30|エッセーコメント(2)トラックバック(0)TOP↑
 27日です。ルーミアの日です。

 スペルカードルール(以下、スペカルール)の決闘において、ルーミアが真面目にやれば、負けることは有り得ない、というお話。紫とかフランも無敵、かつ最強(総合的な強さという意味ではない)と言えるが、いいじゃない、ルーミア好きなんだから。
 今回はルーミアの話というより、スペカルールの話が主題になるが、毎度のことなので勘弁していただきたい。しかも今回は大変つまらない内容である。全部読んでから、時間を無駄にしたなどと怒らないでほしい。

03/27|ルーミアコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 ここ数日、モンスターファームをやりながら(ミキサで音を小さくして)、にこにこ動画で実況動画を見ています。最初はモンスターファームの動画を見ていたのですが、見終わったので、新着を検索してみるとアストロノーカが出てきた、という経緯がありました。

 私はROMではなく、コメントを残すタイプの人間です。比較的コメントの量は多いと思います。
 コメントと言っても、様々なものがあります。例えば、こういうエッセーに対してだったり、議論の評価をしたりです。今回は、にこにこ動画のコメントについてのお話です。


03/26|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 最近口癖になったことの1つに、「評価できない」といった意味の言葉がある。使用例を挙げてみよう。

「あの人のこと、どう思う? 私嫌いなんだ~」
「そういう評価ができるほど、その人のことを知らない」

 または、

「これ面白そうだよな」
「興味ないから、意見できない」

 など(まだあるかもしれない、という意味)。

 頻繁に会話でこのような返答ばかりしていると、マイナスな評価を受けそうだから、積極的に好ましい傾向ではない。あくまで積極的に、だが。

03/25|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 霊夢の勘や幸運とは、一体なんなのでしょうか。
 ありがちなネタです。過去に書いていたかもしれないぐらいありがちです。主人公ネタやボスネタは目立ちますからね。
 そうそう、読む前に1つの注意ですが、霊夢について深く考える記事ではありません。思いついた回答をご紹介するだけの記事です。
 彼女について考えだすとやばいので自制気味にしています。どのキャラクタよりも魅力的で深いことが考えられるからこそ、避けます。考えたところでルーミアの上位に立つことはあり得ませんが、たぶん、欄外の存在になる予感がします。これも能力がゆえか、とか皮肉なことを。

 霊夢は勘が良いことは常識(ですよね)となっていますが、りあえず、勘についてのソース。紅魔郷で湖に向かった理由が勘です。妖々夢で冥界へ向かった理由が勘です。永夜抄で竹林の中で迷わずにたどり着けたのは幸運(紫談)です。たぶん霊夢の勘がすごいことは明らかでしょう。
 勘は能動的、幸運は受動的なものと考えています。
 勘は、今まで積み重ねてきたことから導かれる行動です。「本当に何も無いところから答えを導いたら、それは勘ではなく、超能力だ」、といった言葉もあるぐらいです。
 幸運は、運命だとか宿命だとか、知りえない因子が関わるもの。
 ここまで書いてなんですけれど、勘と幸運って全然似てない単語ですね。なんで説明してるんだろう。

 霊夢の勘の正体でした。抽象的な表現になりますが、頭が良いということ。ただ、それを自覚していない(またはそのように見せている)というだけです。考えるまでもなく頭が回る、これは正に天才ですよね。解釈を広げると、体術がすごいのもこれが理由になります。


 なんで頭が良いのか。これに対する解釈を書こうとしてたのですが、書いちゃだめだ。
 今回は珍しく思うがままに書いてみました。読みやすいだろうか。読みにくいと思われる。理由は略。
03/23|東方Projectコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 いわゆる、物語、世界観、roman、小説、などの概念をひっくるめたものを、『お話』と書くことにします。細かい説明は言葉で表現しきれないのでしません。
 今回は、お話とはどう成り立っているのかを考えます。どう創っていくのか、と捉えていただいても構いません。

 内容に関して、疑問や意見がありましたらご連絡ください。私自身が未消化なので歓迎します。
03/21|エッセーコメント(2)トラックバック(0)TOP↑
 宗教は良い。楽である。
 これはいわゆる、人生哲学の話なのだろうか。私は、人間には何らかの支えとなる軸が必要、と信じこんでしまっている。これによる弊害は、自分の創る、動かすキャラクタにも軸が必要ということである。なぜなら、私は軸が無いと生きていられないという生き方をしているからだ(その内容についてはなぜか語らない)。
 今回は結論を先に書いてみた。特に意味はない。しかし、こういう導入の仕方は特別なことではないから、やはり意味はないだろう。

 ありがちなことかは判らないが、自分とは何であろうかと悩むことがある。脳か、心か、生命か、考えている何かか、魂か、様々な答えが浮かんでは、その答えとなるのは何か、という新たな疑問に飲み込まれる。別に、これを考え抜こうとするのは、きっと悪いことではない。ただ、考えてやると意気込んでやるのは良いが、床についてから実行してしまうと眠れなくなる。他のことに集中したいときに、ふと思い浮かんでしまい、考え込んでしまうこともあるかもしれない。なので、1つ(または複数)の解答を、ようは思考停止できる考えを持つのが良いと考える。

 私が解答にしているのは宗教である。といっても、アニミズムとかキリスト教とか仏教とかを言いたいわけではない。
 何かを信仰することが、こういった悩みに安定を与えてくれるのだ。神でもいいし鏡でもいい、何でも良いから信仰の対象となるものを決める。ようは、自己流の精神安定剤を創る。宗教を例に出したのは、私が宗教を支えにしているだけで、きっと他にも存在するだろう。

 さきの悩みから発生した答えではあるが、他のことにも応用が効く。抽象的に書くと、人生が楽しくなる効果があると思われる。正確に書くと、人生が楽しく見えるいわゆるお花畑な人になれる。
 真似はしない方が良いだろう。
03/18|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 地霊殿に訪れる者はほとんど居ないらしい。“主である古明地さとりが心を読む能力を持っているが為である”、とテキストには書かれている。つまり、さとりと関係があるのは、妹のこいしとペットたち、そして一握りの変わり者ということになる。
 ほとんど居ないとされる変わり者は何なのだろうか? それを考えてみよう。なお、こいしとペットについてはテキストに書かれているので考えない。

 勘違いしないでほしいことは、変わり者を特定したいわけではないこと。東方地霊殿での会話から、勇儀がその可能性の1つとできないこともないけれど、今のところ特別興味はない。

03/16|考察:地霊殿コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
『慣れる』という言葉がある。晴れていたから傘を持たずに出かけたら帰りは雨が降っていて濡れながら帰りしばらくは衣服が肌に貼りつく感触が気持ち悪いと思ってもしばらくするとどうでも良くなったり、オートボムとハイパーに頼って5面までたどり着き空気を読まないビットに氏ねと呟いていたと思えば氏ななくて良いむしろイ㌔などとはしゃぎだしたり、なんで命中率20%・クリティカル率20%のインコムをクリティカルでくらって命中率100%のフィンファンネルが切り払われるんだよ糞がと言いながらソフトリセットする動作がだんだん素早くなってきたり、凄駆のホバーリングポッドを調子に乗って壊したら1面早々死ぬがよいされたのにむかついたから練習したら発狂が避けられるようになる、と言った事柄が慣れである。『慣れ』はだいたい良いことに使われる。しかし先に書いた(読む必要はない)事例は、必ずしも良いと思えることばかりではない。極論を言えば時間の無駄というデメリットも存在する。
 慣れようなどと反射的に実行せず、慣れることでどうなるのかという事をよく考えてから慣れていきたいものだ。

追記:
 良いことだと思っているのは少数派なのかもしれない。強迫させられるような状況で使われる事が多く見られる言葉だからだろうか? 慣れさせられることを、慣れると同一視するのは、どうなのだろうか。
03/13|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 キャラクタは刻みつけられた印、すなわち人格であり、パーソナリティは仮面、すなわち性格であるらしい。性格が仮面というのは、直感的に受け入れやすい表現だと思う(あえて説明はしない)。しかし、前者の、印が人格というのはどういうことだろうか。たぶんシンボルとか、アイコンとか、そういうのが個人だったのだろう。
 このように原義をさかのぼることで、まるで神話のような現状を目の当たりにすると、どことなく感慨深い気持ちになれる。この気持ちを掴むことが云々。

 話が逸れていた。気を取り直してタイトルのお話である。別に、キャラクタとは何か、パーソナリティとは何かを語りたいわけではない。というか、んなこたぁ知らん。難しい単語を繋げてみただけである。
 ところで、キャラクタと呼ぶのも、パーソナリティと呼ぶのも長いので、ここから「個人」と書くことにする。使用方法が間違っている気はするが、「漫画やゲームなどの登場人物」というつもりで書いていくので、酷くずれていることはないと考える。

 個人と書いたが、さて個人とはどのように成り立つのだろうか。
 無意識による行動だろうか。
 家族や会社の人間関係だろうか。
 情報のinput/outputの扱い方だろうか。
 もちろん、これらも要素になるだろう。しかしこれだけではできあがらない、過程も必要だと考えられる。この過程に必要な勉強は心理学だと思う。発達とか適応などの分野が良い。更に、この過程を埋める作業には、倫理学と論理学が必要だろう。そしてこれらについて理解するため、哲学も学ぶのが好ましい。

 世の中には、キャラクタの作り方指南書のような書物が存在するようだが、こういう意見を書いているものは存在しないのだろうか。あるなら好感が持てるのだけれども。
 キャラクタは、見るのではなくて、考えることによって作れ、と単純なことを書いてあるだけでも、それなりに爽快だ。

 個人の過程なんてどうでも良い、今あるがままを感じれば良い、などという人もいる。キャラクタは記号、シンボルの集合だという意見だ。金髪ツインテールだとツンデレであるという式である。それも1つの方法だと思うし、楽だろうと想像できるが、私には難しいというだけの話。
 そもそも金髪ツインテールになった過程とツンデレになった過程は別であろう。
03/12|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
ブログ内検索
プロフィール

正面戦士

Author:正面戦士
ルーミアバナー
バナーをクリックするとこのブログの説明らしきところにジャンプします。

最近の記事
カテゴリー
リンク
最近のコメント
月別アーカイブ
最近のトラックバック
RSSフィード
アクセスカウンタ
ブロとも申請フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。