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 27日はルーミアの日と定めて3ヵ月が過ぎたような気がします。皆さんどのようにお過ごされたでしょうか。私は文字どおり大往生したり大復活したりです。


 ルーミアはどのように生活しているのだろうか。これはルーミアに限らず、妖怪全般に対する疑問ともいえる。といっても、生活全般にしてしまうと様々な要素があるので、今回は家に絞ろうと思う。

 まずは根本的な問題。妖怪に家が必要なのかどうかを考えよう。家とは、住人を寝泊りさせるだけではなく、周囲の環境から守ってくれる建物だ。環境というのは風雨などが一般的だが、周囲の環境から守ってくれるという言葉どおり環境によって変わることもあるし、住人によって守ってもらいたいものは増える。極端な例を出すと、ゴミが溢れている場所に家を建てるなら異臭対策が必要だろう。騒がしい住民なら防音対策が必要だろう。
 さて、妖怪は寝ないだろうか? 風を、雨を気にしないだろうか? 

 妖怪とて、寝るだろう。といっても、妖怪に睡眠という機能が必要だとは言っていないのであしからず。
 風雨も同様に気にするだろう。風邪などの体調不良にはそうならないだろうが気分は悪くなるだろう。ルーミアの場合、日の光を避けられるような機能が必要と思う。窓を少なくするのも手だ。

 ある程度自明なことを再認識したところで可能性を考えてみよう。

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02/27|ルーミアコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
「そんなもの当たらないのは当然だろう」、というある種の思考停止さんには縁がない話かもしれません。しかしそういう人を馬鹿にしているわけではない。むしろ尊敬していますが額面にはそう見えないかもしれません。
 そもそも、全くの無駄でしかないお話なのですから。

02/25|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 この記事の内容は本来、『日記+』のカテゴリに入れるべき内容である。だがこの内容は白昼夜行に相応しくないという理由でカテゴリは『日記』になっている。つまりは、自分語りである。
 他人に全く関係無い内容であるのは間違いないのだが、それでも人によっては何かを得られるかもしれない、というスタンスの『日記+』だが、完全に“私”の話となるのでやはり『日記』だ。

 なぜこんな言い訳を書くのか。普通に始めればいいじゃないか。mixiに書けば良いのではないか。しかしこの話は、白昼夜行というブログの存在意義や方向性を語る部分もあるのでご了承いただきたい。

 先日書いた、“ムーンライトレイの反省”を読んでも苦ではない人なら、普通に読めるかもしれない。
 人の狂気、または正気の一種だと思ってもらえれば幸い?

02/22|日記コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
色々やりたいことを詰め込んだ作品。23.8KB
小説初心者にも関わらず、やっちゃいけないことを無視して書きました。
読みにくいったらありゃしないです。

なお、微量の残酷成分を含みます。
蛇足を追加しました。読み終わって、なお興味があればどうぞ。

02/20|小説コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 先日書いた、“生と死の境界”の続編だったり違ったり。カテゴリが『東方』ではなく『ルーミア』なのはなぜかって? え、聞いてない? まぁまぁ、最後まで読もうよ。
 どうでも良いことついでに書きますが、紫って境界を操りまくるイメージがあったけど、「~と~の境界」と名づけられたスペルカードの割合は精々3割ぐらいだった。これから何を思うかは人それぞれ……。

 前回は、生も死も違わないじゃないか、みたいな話を書いた。これはある意味当然のこととも言える。人間は想像する生き物だから、自分を生きていると思っているが、人間の考える部分である脳、いわゆる身体は物である。死んでも生活していないだけで、肉や骨は残り自然に戻る。
 これはあくまで現実的に見た現象だけの話で、俗に言う『魂』はどうなるか、ということになる。そもそも、『脳』が思考しているのか、『魂』が思考しているのかなんて、当然私には判らない問題だが、幻想郷ではそれは解決される。輪廻転生が存在するからだ。身体と似たように、魂も自然に成り、そしてまた現世に成る。身体と同じじゃないところは、魂は自然が先か現世が先か判らないところだろうか。
 さて、輪廻転生するわりには、「咲夜さんが死んでも霊になって紅魔館でメイド長してそう」という考えは消えない。これは何故だろうか(キャラ贔屓だとか言わない)。

 急な話だが、常世の国というのがある。常に変わらない、永久不変の国のことだ。それは転ずると、死者の国、黄泉の国、冥土となる。その常世はどこにあるかというと、海の彼方にある。なぜ海の彼方にあるかなんてことは知らない。想像するに、日本は島国だからとか海は流れるものの最終地点だからとか、とりあえず、そういう考えがある。
 幻想郷には海が無い。つまり、常世が無い。三途の川や冥界は存在するが、前者は渡らなければ良いし、後者は幽々子の力によらないと逝けない。死しても現世に残ることを可能そうだ。
「幻想郷は全てを受け入れるのよ。それはそれは残酷な話ですわ」、受け入れるという言葉から、外から内に向かいいれる場合を指してると思ってたけど、内部のことも受け入れると取るべきだろうか。


 死者の世界って空の彼方にあると思ってた少年時代。日本がグローバル化したからだろうか、などと想像する現在。

02/18|ルーミアコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
“宗教”とは何らかの超越絶対者を、あるいは神聖なものに対する信仰だ。神とか仏像とか神棚に対する思いが信仰であり、“宗教”である。一般的に、何かを信じている方が安定するのだから、“宗教”は大事なものといえる。人間は言わずもがな、妖怪の山の妖怪も、東方風神録で「つまらなくなった」、と言っている。

 常識で指す“宗教”、キリスト教や仏教を信じていない、いわゆる無宗教と表現される人が増えていようですが、無宗教な人でもだいたいは何かを信仰しています。極端な表現をすると、『突然の雨に対し、運が悪い』と思うだけでも“宗教”と表現することはできます。本当の無宗教とは、文字通りの自分しか信じていない、と思っている人のことです。つまり、何事の結果も自分の起こしたモノだという考え。

 さて、幻想郷の人間たちは“宗教”を持っているのだろうか。ある程度は安定しているということから、宗教を持っていることは間違いない。では、信仰対象は何か?
 絶対者ではないにしても、周りには人間から見て超越者がいっぱい存在する。しかしそれは、そのまま逆から見れば、絶対者は存在しないとも言えることになる。
 例えば、収穫祭には穣子をゲストに呼ぶそうだ。これは“宗教”だろうか。上で書いた“宗教”の定義からは外れることになるから、“宗教”とはいえない。では、それは何か、と問われれば、親交であり信仰である。これは“宗教”ではなく、宗教である。つまり、幻想郷での宗教の定義であるということ。

 幻想郷においての宗教を判りやすく表現すると、『親交宗教』ということになる。

02/16|東方Projectコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 ムーンライトレイ.gifの改造作業が思ったより長引きました。きづけば、もう16時です。
 そして今日も東方の記事ではない……。東方記事が書きたいけど、東方はいつでも書けるから後回しになりがちです。


 昨日は暖かく陽気な日だった。そのおかげか、心にはゆとりがあり、うっかりと老人と話すことになった。
 川沿いの小さな公園のようなところで、道行くカラスがハシボソかハシブトかが気になり、自転車を止めた。すると、カラスと猫が餌の取り合いをしているではないか。面白いので観察していると、「猫とカラスが争ってますな」と老人が遠慮がちに声をかけてきたのだ。

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 数十倍とアクセスが伸びています。このアクセスが継続しないのは分かっていますが、嬉しいのは隠せない。10%ぐらいの人には感動してもらえただろうか。常連が数人は増えるだろうか。
 楽しんで作ったものを楽しんでもらえるのは、これもまた嬉しい。嬉しさの度合いが言い表せないので、適当に嬉しいとしか書きません。
 ところが、良いことばかりではありません。実際に起こっていることは全て良いことなのですが、自分の姿勢的な問題。

※他サイトの名称は敬称略になっております。
02/12|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
ムーンライトレイアニメ

改ムーンライトレイアニメ

月術「ムーンライトレイ」
ロマンシングサガ3風味なgifアニメです。
サムネイル表示となっておりますので、クリックしてご鑑賞ください。
上が初期作、下が改造(Not改良)版です。

ご使用のブラウザがInternet Explorerの場合、意図した動きをしないかもしれません。
Mozilla Firefox、Slepinirで意図した動きを確認しています。

大事なのはドット絵のみ。
文章は追記に格納します。

02/10|ドットコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 次こそは東方の記事を書こう、と思うのは何回目だろう。東方の事をあまり考えていないとはいえ、書くネタはある。そもそも、これらの考え事はすべて、東方を念頭に置いて考えている。それでもやはり、東方から外れた迷子な考え事はいるわけで、それを日記+にしている訳なのですが……。これが書きやすいのです。「本当に好きな事は書きにくい」とはよく言ったものだと実感する今日この頃。

 最近自己紹介ばかりだなと反省しつつ、自己紹介をします(自粛はしてない)。私(中の人)はデブでした。柔らかくいうと、肥えていた。肥えるって書くと、良い意味に見えて嫌なので、やっぱり太っていたにします。
 デブといっても、外見はどうあれ軽肥満と呼ばれる体型でしたので、特に気にすることもなく生活をしていました。運動はせず、お菓子を食べたり、間食をしたり、牛乳を飲みまくったり。といっても、金銭的問題からお菓子などは減っていますが、現在も生活自体にほぼ変化はありません。それなのに、体重は激減しています。具体的な数字を出すと、70~73kg辺りをうろうろしていた体重が、58~60kgをうろうろする体重になりました。参考までに、私の身長はたぶん170cmです。たぶんというのは、身長を覚えてないということ。
 体に寄生虫が住んでるとか、危険な病気だとか、そろそろ死ぬとか、ありがちなことが浮かびましたが、確認が困難なため、以下に普通の理由を考えてみました。

 痩せるには2つあると考えます。1つ目は、痩せるようにする。リンゴダイエットなどの、食を減らすのがこれになります。2つ目は、太らないようにする。運動をしたり食を控えるのがこれになります。もっとあると思いますが、矮小なダイエット知識ではこれらが精一杯です。
 上記の両者の違いは、努力する方向性の違いです。体重が増えていくさまを折れ線グラフにした場合、線は上に向かって伸びていきますが、前者は下に向けようとするもの、後者は横に向けようとするものです。
 私はダイエットに興味がなかったので、前者のことは考察の対象になりえません。よって、理由としては後者が当てはまると思います。

 さて、太らないようにするには、太る理由を排除すれば良いわけです。そこで1つ思い出したのが、「太る奴は我慢できないからだ」ということです。食べたいがままに食べて、だらけるがままにだらけている、ということを指したいのだと思います。しかし、本当にそうだろうか。食や運動に我慢をする必要性がないと思っているだけであって、「我慢できない」と一概にそうとは言えないでしょう。むしろ、こういうことを言う人が食を我慢しているのではないか。
 単純に思う。太らないということは、自分の体型を、こうしよう、と反省しているだけのこと。ダイエットが成功しないという話をよく耳にするのは、この部分ができていないからではないだろうか。


 なんだこの記事は。最後の部分だけあればいいじゃないか。冗長文め。
 本当に端的に書いてしまうと、この記事は、デブに劣等感を持っていた私がずっと気になっていた「太る奴は我慢できないからだ」に反論したかっただけです。
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