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 容赦なく語られてると思われるネタです。考察サイトを見なくなって久しいので、あくまで、思われると書いておきます。紫が蜘蛛だとか、そういう話ではないのであしからず。

 少しだけ私(もしくは私たち)の生きている世界の話。通常、生きている人間は、“死”というものが理解できない。現象として、『生命活動の停止』と表現できるが、本質的な“死”については不明です。
 じゃあ生きている人間は、“生”について、“生命”について理解しているといえるのか? そんな疑問を浮かべる人も居るだろうけれど、「生命は運動や増殖のような生活現象からから抽象される一般概念」と定義されています。

 さて、幻想郷の話です。幻想郷にはご存じのとおり、冥界、地獄、霊、などなど、死後の世界が明確かつ生きている者でも観察できます。
 そんなことだからか、「咲夜さんが死んでも霊になって紅魔館でメイド長してそう」、といった話はそれなりに見かける話です。つまり、生きてても死んでても、特に変化が無いように見える。「冥界に生きた人間が行くと生と死の境界が曖昧となる」、というようなことは、誰かさんが言っていた台詞です。
 幻想郷に住む人間の死生観はどうなっているのだろう。生き方については人それぞれだと思うけれど、“死”については統一した見方をしているのだろうか。幻想郷において、概念上“死”の存在は、少し調べれば分かる程度に過ぎない。

 死ぬと人生が終わるだけで、『自分という存在』にはただのターニングポイントに過ぎないのかもしれません。まるで約60年ごとに生まれ変わるように。

 幻想郷において、“生”の対義語は何?
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昨日のアクセス数が、平均の倍近くになっていた原因に気づいたので日記。

01/27|日記コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 27日になりました。ルーミアの日です。正しくは、ルーミア記事の日です。

 何者かが何者かを呼び示すことは頻繁に登場する。「あんた、洗濯しといて~」や、「●●さんが好きです!」などのこと。単語でいうと二人称、呼び名、または人称代名詞。
 確認する限り、台詞の中でルーミアは、「人間」といった類を除くと、「あんた」しか使っていません。かといって、ルーミアが誰かを呼ぶときに、「あんた」しか使わないとは限りません。まあ、至極当たり前のことです。ただ、「あんた」しか使わなさそうなのも居るので、一応。

 ルーミアは他人のことをなんと呼ぶのでしょうか。本編の台詞では、攻撃してきた人間相手、機嫌悪い中の新聞記者相手、の場合に「あんた」と言っています。「あんた」以外の呼び方は、想像するしかありません。
 ルーミアは紅魔郷で、平然としてたり笑顔になったりしてますが、通常時にどういう人物なのかはほぼ描かれていない状態です(紅魔異変時なので)。基本的に機嫌が悪い状況の会話となっています。そうなると、機嫌が良いとき、または平常なときを想像するのが二次創作の焦点となるわけです。その状態を想像するタネの1つが呼び方だと思っています。つまり、とある人の描くルーミアは、「そなたは悪よのぅ」とか言ってたら、その人の通常時ルーミアはそういうルーミアなのだ。他に、●●と呼ぶ、あなたと呼ぶ、きみと呼ぶ、などなど。気分で呼び方など変わるものですが、使う比率の話。

 私の場合、初対面や機嫌が悪かったりすると、「あんた」と呼び、知り合いで平常時だったりすると、「あなた」としています。もちろん、名前で呼ぶときもある。これを決めるだけでも、ルーミアの性格を想像するのが楽になります。
 しかしこれ、ルーミアの話か?
01/27|ルーミアコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 最初に書いておきますが、未熟な私がタイトルのことについて考えたというだけです。いまさらじゃないか、とはいわずに……。

 歩いていると悩むことがあります。その悩みの1つが、足音を立てない歩行方法です。足音がうるさいとか、そういう問題に対して悩んでいるのではなく、できないだろうかという反抗心です。
 直感でもわかる簡単な解決方法として、『ゆっくり歩く』というのがあります。また、『つま先で歩く』もよくいわれるところですが、『ゆっくり歩く』とやっていることは同じに思えます。なぜか。地面に衝突する力を緩めれば、音も小さくなるように観察されます。何故かは知りません。無知なりに考えてみれば、力が弱いと空気の振動も小さいのではないか、と想像されるぐらいです。観察結果が間違ってる、他の因子を忘れている、ということは考えません。特に思いつきませんでした。

 さて、今日は『つま先で歩く』に疑問を感じ、考え直してみました。疑問の理由は、上記にある『ゆっくり云々』の文章です。力が弱い方が良いのなら、つま先よりは足の裏全体を使って力を分散させた方が良いのではないか。しかし、ここでまた疑問が生じます。空気の振動云々で足音が鳴っているのなら、足の裏全体を使ってしまうと、空気を震わす量が増えてしまう。このパラメータとは違い、力の入れ具合は調整することができるから、結局『つま先で歩く』のが正解なのだろうか。などと、考えながら歩く冬。

 ところで、タイトルの方法ですが、靴や地面の条件が重要だと考えます。衝突する両者の靭性(じんせい)が高ければ、音は小さくなるのではないかと。例えば、靴も地面もスポンジで作られていれば、足音は立たないでしょう。鳴る音は、きっと衣擦れなどの類です。他には、音を伝える空気を無くすとか……。
 漫画や小説、はたまた現実にも、足音が立たない人間は居るようです。どうやって歩いているのでしょうか。観察者が悪いのか、靴が特別性なのか、浮いているのか、どれだろう。


 ところで、音は鳴るものです。しかしながら、「立つ」と表現することもあるようです。どう違うんだろう。いくつか理由は考えましたが、タイトルから逸れるのでここらへんでおしまいです。足音を立てずにルーミアの闇の中へ行く練習をするんです。
01/26|エッセーコメント(1)トラックバック(0)TOP↑
たまには日記。
最近、調子が戻ってきたので、書き進めています。
調子が不定期なのは何とかしないとねぇ('A`)
ただの日記なので追記に隠します。

01/23|日記コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 その昔、『幽香様最強説』なんて記事を書きました。この記事の仕業で白昼夜行に訪れる人が、かなりの割合で存在します。「最強」という文字に惹かれるのか、「幽香」という名前に惹かれるのか、どっちなのかは知れません。しかしこのまま放置するのも、幽香ファンとしてノスタルジィを感じます。そういう訳で、ルーミアを差し置いて、今回は幽香の記事となります。
 幽香記事といっても、特に語る要素を持っているわけではありません。長々語る記事よりも、スマートな記事の方が良いとは思うけど、内容が大したことないとそれはそれで問題。

 タイトルで強調しているつもりですが、風見について少し。周知の事実だとは思いますが、初出の『東方幻想郷』においては、“幽香”であり、“風見幽香”となったのは『東方花映塚』からです。たしか稀翁玉でも、“幽香”だったはず。私はWin東方の流れに乗って、苗字をつけたのだと思っています。
 神主のことですから、語感で名づけた部分が多いと見ているのですが、とりあえず、「なんで風見なのか」というお話。
 ところで、風見というのは、風の方向を知るための道具です。風見鶏なんかが有名のはず。

1.幽かに香るという名前。香るには空気の流れが大事。つまり風の方向である苗字がつけられた。転じて、独特の空気を纏った者。

2.風見の烏(からす)という言葉がある。烏にかたどった風見鶏なわけだけど、お高く威張っている様子のたとえにも使われる。また、くるくる回るたとえにも使われる。前者は苛めっ子ということを連想させるし、後者は花や傘を連想させる。

3.風見鶏には、悪く言うと無節操、良く言うと変幻自在(要領の良い)という意味でも使われる。花を追って生活している幽香は、これに当てはまらないこともない。


 ところで、語感でいえば、“風見ルーミア”なんてのも良いですよね。
01/22|考察:花映塚コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 『大義名分』、という言葉をご存じでしょうか。私は何気なく使っていましたが、ろくに意味を知らない事に気がつき、自分なりの解釈をしてみました。大義名分を「知らない」、なんて言う天邪鬼な人、自信をもって「知っている」、と言える国語の教師さんには、難しい内容だと思います。

 とりあえず、広辞苑を適当に見てみましょう。
大義名分
“行動の理由となるはっきりした根拠。”
大義
“大切な意味。”
名分
“道徳上、身分に伴って必ず守るべき本分。”

“名分”は『環境』に左右されます。例えば、長と民、親と子、など。“大義”は『自分』が色濃く出るように思えます。大切さ(重要さ)は自分の価値観で決めるわけですから、環境にはあまり依存しません(周りが強制する場合を除く)。だから、“大義”が前に、“名分”が後ろに配置されていることから、『自分の信じる何かによって守る(成す)という思い(考え)』、という解釈になりました。毎回の記事に共通することですが、正しいかは知りません。
 私が観察するところ、大義名分は、おおよそ『自分』の正義感(倫理観)に依るものに見えます。例えば、大義名分とうたいながら大仏を動かしたり、世界を救ったり、幼馴染を助けたりします。一般的な意味からはあまり外れていないかな。

 こんな大義名分はどうだろう。
「俺はルーミアが好きだからネチョる!」
「まて! それが問題かはさておき、それに大義名分はあるのか!」
「ルーミアは俺のことが好きなんだ! つまり俺=ルーミアの恋人! 大丈夫!」
「駄目だこいつ……早くなんとかしないと……」
 俺嫁発言の三割ぐらいがこういう類だと思う。会話中で、問題かどうかをスルーしたのは、ルーミアが妖怪的な意味で、です。


 当たり前に使っていることに対して考えることで、その当たり前に対する心構えも変わると思う今日この頃。今日この頃だって、『本日』って意味じゃなくて、『最近』って意味ですし。
01/21|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 世の中、どうでも良いことを褒める人が居ます。どうでも良いこととは、場を持たせる為とか、自嘲気味に言われ(正しくは聞こえ)たりしたから、などのことを指します。悪いという訳ではなく、よく分からないというだけ。実際、自分でもそういう時に褒めることはあるし、そういう風潮なのだと思います。少なくとも自分の周辺では。
 そんな感想を抱いた今日。発展させて、タイトルのことを考えてみました。何に対してそうされたいのか、という対象があったほうが分かりやすいので、とりあえず、自分は何か創作物を創ったことにします。

01/15|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
 とても若干灰色蜜柑箱のせいで、大妖精について考えてみようと思い至れました。
 東方求聞史紀(以下、求聞史紀)を資料に、妖精の考察から大妖精に広げてみよう。東方三月精は、残念ながら漫画版の方しか持ってないので、資料からはおおよそ省いています。また、名無し考という記事も過去に書いてあったので、読んでみると面白いかもしれません(主に書き手の変化が面白い)。

 まず、いつもどおり、求聞史紀をどこまで信じていいかどうか。今回は『妖精』という種族について考えるわけですので、個体について考えるわけじゃありません。よって、かなりの度合いで、記述そのままを受け入れて良いと思われます。理由として、例えば、チルノという個体を考えようとしたとします。考えるにあたって、求聞史紀だけを資料にして見ると、端的にいうと「ばか」ということがわかり、この「ばか」の具合は、手の施しようがないぐらいどうしようもないレベルだと読み取れます。しかし、花映塚などを見てもわかるとおり、チルノはチルノなりの考えがあります。その考えは、どうしようもないという類ではなく、微笑ましい類であるように感じられます。
 例が長くなりました。求聞史紀のデータは、阿求の主観が多分に入っているからあんまり信じるな、ということです(チルノとか顕著に見える)。それでも、種族や地域の情報、妖精や妖怪、といったもののジェネラルなデータについては、主観の入る余地が少ないと考えられます。なぜなら――、と続けてしまうと何の記事かわからなくなるので、これまで。

01/14|考察:紅魔郷コメント(0)トラックバック(0)TOP↑
広辞苑より(他の意味や、細かい意味は省略)
・嫉妬
――自分よりすぐれた者をねたむこと。

 ところで、“嫉妬”の対義語は確定されているのだろうか。検索してみると、『教えて!goo』に記事があったので参考にしてみた。参考するにあたって、考えたことを少し書いてみよう。

“羨望”では? というレスがあった。“羨望”だと類義語ではないだろうか。羨ましく思うことが羨望だから、意味的には類義語である。しかし“羨望”だと、アクティブな意味に取られやすいと思う。“嫉妬”は“羨望”のパッシブな表現と見た場合、対義語にも思える。
“賞賛”では? というレスがあった。“賞賛”は褒めることだから、発信することになる。“嫉妬”は内向的な意味に取られやすいから、対義語だと思ったけど、本当にそうだろうか。“賞賛”というのは、「すげー」という気持ちがあるから褒めるわけで、その、「すげー」という気持ちは、“嫉妬”と同じではないだろうか。
“憐憫”では? というレスがあった。私はこれが対義語だと思う。不敏という気持ちは、羨ましい、妬ましい、というところとは無縁で、いわゆる“かわいそう”な状態。ただ、上に書いたように“発信”の意味まで考慮するなら、“慰め”が本当の対義語かもしれない。

 感覚的なことで対義語を考えたけど、捉え方で対義語なんて変わるのではないか、という考えから多用しています。
 こういう、ろくに調べもせずになんとなくで考えを書いた場合、真実を知っている人からすると大変馬鹿らしく見え、実に哀れである。その真実が一般的なこと、大衆が知っているようなことだった場合、哀れというより、無残である。


 はじめ、この記事のタイトルは『嫉妬=傲慢』だったんですよ。上の対義語と繋げちゃうと長すぎるかな、と思って見送ることに。果たして書く機会は訪れるだろうか。
01/13|エッセーコメント(0)トラックバック(0)TOP↑
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